Senior's Blog

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JCO臨界事故(1999)

Fukushima50を観て、JCO臨界事故を思い出しました。

映画の中でもちょっと触れていましたが、その事故についてちょっと調べてみました。

日本初の臨界事故ということで1999年に、茨城県東海村で発生しました。

2名の方が亡くなったのは知っていましたが、どちらも30代の方だったんですね。

事故の原因は、作業ミスだったわけですが、ずさんな作業工程管理だったようです。

正規のマニュアルではなく裏マニュアルによる作業を行なっていたそうで、その裏マニュアルでの作業をミスってしまったようです。規定の量以上の量を沈殿槽に入れてしまったため、臨界に達してしまったというもので、この作業をしていた人たちは、手順や量を間違えることで臨界事故になることは知っていたんでしょうか。おそらく、知らないでやっていたんじゃないかなと思います。

3人で作業をしていて、そのうちの2人が亡くなったようです。

1人は、骨髄治療で退院できたそうです。

3人とも1シーベルト以上の被曝をし、亡くなった2人は10シーベルト前後の被爆だったようです。ミリシーベルトじゃなく、シーベルト単位なんです。映画の中では、累積線量が100ミリシーベルトに達すると危ないような話でしたので、桁違いの被曝量だったわけです。

目の前で臨界が発生しているわけですから、致し方ないです。

この事故の際、臨界を止めるために、福島原発事故の時のように、JCO従業員による決死隊みたいな対応を行ったようです。18人で、2人1組で1分交代で対応にあたったそうです。

彼らも少なからず被曝をしており、うち1人の被曝線量は120ミリシーベルト程度だったそうで、まさに命懸けの作業でした。彼らの頑張りによって、約20時間後に臨界収束となったようです。

このような事故の話を聞くと、放射能を中和する技術がないと、万一の事故に対応できないことになるので、原発とかは稼働しちゃいけなかったんじゃないかな、と思ってしまいます。

被害を受けた方々の気持ちを思うと、無責任な発言はできないと思いますし、また、難しい問題でもあり、何も言えなくなってしまいます。

いつか、アインシュタインが生き返って、なんとかしてくれるのを待つしかないかも。