Senior's Blog

ゴルフ(Golf)、python(Pythonista)、メンタルヘルスに関するブログです。

無宗教

昨晩、ふと、自分のお墓をどうしようと考え始めてしまい、しばらく眠れなくなってしまいました。しばらく、とは言っても、元々、寝つきは良いので、10分か15分ぎらいかなぁ、と思います。

今までは、自分が死んだら、両親と同じお墓に入ればいいんだろうなぁ、と漠然と思っていました。数年前に父は亡くなり、そのお墓に眠っているんですが、90歳超えの母も、いずれはそこに入ることになります。

お墓は、両親が生前に購入していて、父が亡くなった時に、墓石を建てたのですが、墓石は兄が負担しました。墓石を建てる時、こちらもいくらか負担しようとは思っていたのですが、兄が私たちに特に相談もなく、自分の名義で建ててしまいました。その後、兄との関係が少しギクシャクしています。

こうなってしまうと、兄の名義のお墓に入るのもどうかなぁ、という気持ちになってきて、それなら、自分でお墓を建てた方がいいのかなぁ、とも思うようになっていました。

そして、昨晩、それを思い出したように、また考え始めてしまったのですが、お墓って、必要ないんじゃないかなぁ、との考えに至りました。

自分がお墓に入った後、どうなるかというと、その管理は、自分の子供たちが代々引き継いでいくことになります。しかし、それって、代々、結構な負担になるのではないかと思います。

ちゃんとしたお墓に入らないと成仏できないみたいなことも考えたりしますが、私の場合、神も仏も存在を信じていませんので、死んだらそんなの関係ないと思っています。

お正月は神社に初詣にいったり、法事ではお寺にいったりはしますが、私の場合は、形式だけです。

とは言っても、子供が産まれる時や、家族が入院したり、手術したり、そういう時は、神社にお参りに行ったりはしてしまいます。でも、これは、神にもすがる思い、というだけで、神様が何か助けてくれるとは思っていません。何かあった時に、お参りしなかったからだ、と言われるのが嫌なのでいっているようなものです。

百歩ゆずって、神様がいるとしましょう。神様は何かする力をもっているのでしょうか?

昔から、戦争が絶えず、凶悪な犯罪も絶えず、それを神様が阻止してくれたり、被害者を守ってくれたりしたことがあるでしょうか?「信じるものは救われる」は嘘だと思います。いくら信じても、救われない人は救われないんです。たまたま、救われた時に、神様のおかげだと思いたい気持ちもわかりますが、それは偶然だったり、医学の進歩のおかげだったりだと思います。

と、いろいろと考えを巡らせていると、子供たちのためにも、自分のお墓は要らない、と考えました。自分の遺骨は海にでも撒いてもらおうと思います。お墓参りはしなくていい旨を生前に言っておこうと思います。何かの折に、時々思い出してもらうぐらいで十分です。無宗教の私がお墓を作るのは、神社やお寺に失礼だと思います。

そろそろ、終活を始めないといけないのかもしれませんね。

このブログを家族には公開していないのですが、遺書にでもかいておきますかね。

と、老い先短い感じがしてきますが、自分の寿命は誰もわからないので、早めに準備しておこうかなと、考え始めました。